ネコがかわいいだけ展

ねこ先日、コロナ禍の中だが、思い立って渋谷で催されていた『ネコがかわいいだけ展』に行ってきた。 ただただ、様々な猫たちの、様々な表情の一瞬を切り取った猫たちの写真が大量に展示されているだけの写真展である。 それらをながめていたら、心が豊かに…

昔の新聞コラムから

毎年スケジュール用の手帳を買い替えてきた。 そして手帳が新しくなっても、変わらず手帳のポケットに挟んである小さな新聞記事がある。いつの年の記事かはっきり覚えていないが、相当古い記事の切り抜きなので、かなり色あせている。何故か捨てられないで毎…

古き良き時代のアメリカ(追記 猫の話)

(追記 猫の話) ところで、標記のタイトルでエルパソの生活を書いてきたが、このブログのタイトルでもある”猫”のことを書き忘れていたのに気付いた。 猫が私の人生に最初に関わったのは、エルパソ時代の最後の半年に、”唯一”仕事場で一緒だった、一匹の猫で…

古き良き時代のアメリカ 心象風景その7 次の赴任地へ

エルパソでの生活が3年ほど過ぎたとき、私はLA(ロスアンジェルス)への転勤を命じられ、家族と共に移動することになった。その時には、わが家には2番目の子(息子)が増え、3歳の娘と1歳未満の息子の4人家族になっていた。 赴任から3年も経ち、最初にこの街…

古き良き時代のアメリカ 心象風景その6 世界最長の国境

ところで、純粋な仕事上の問題・課題は別にして、エルパソでの仕事や生活では、事件と呼ぶべきことも多々あった。それぞれの場面でよく対処できたものだと思うが、今思えば何とか乗り切れてきたことに感謝である。 ある時は、真夏の熱気で地面のアスファルト…

古き良き時代のアメリカ 心象風景その5 エルパソでの生活

さて、一人でアパートと仕事場との往復をしている間は、当然だが、日本語を話すことはない。一週間以上もそんな日々が続くとストレスが溜まっておかしくなってくる。 まず日本語で考えて、英語に置き換えて話すという作業は精神的に疲れるものだ。 英語での…

古き良き時代のアメリカ 心象風景その4 国境での仕事

エルパソでの私の仕事について少し述べてみたい。前に書いたようにアメリカとメキシコではNAFTA協定によって、メキシコで生産した製品をアメリカ側で販売する際には優遇税制が適用された。 私の勤めていた会社は電子部品を製造販売する会社であったが、この…

古き良き時代のアメリカ 心象風景その3 異国生活のスタート 

私の記憶が正しければ、当時のエルパソは人口30万人程度の街であったと思う。メキシコとの国境の街であったことから、当然ヒスパニック系の人口が多かった。 英語とスペイン語両方をしゃべれる人が三分の一程度いたが、英語がしゃべれなくて、スペイン語のみ…

古き良き時代のアメリカ 心象風景その2 国境の街

エルパソはロッキー山脈の南端に位置しており、街から少し離れて郊外に出ると、昔の西部劇に出てくるような荒涼とした風景が広がっている。日本のように四季を感じる自然は無い。 どちらかと言うと夏か冬かであり、夏には40度以上の暑い日々が続き、冬には雪…

古き良き時代のアメリカ 心象風景その1 エルパソの夜景

エルパソの夜景 最近、アメリカの人種差別が大きな問題としてニュースになっている。アメリカ人にとってこれは建国以来の根深い問題であるのだが、小さいころからの差別感情の蓄積は、一般的な日本人にはわかりようがない。 人種と言う概念を身近に感じない…

人生100年時代

「人生100年時代」だそうだ。 そして100歳まで生きる為にはそれ相応の蓄えが必要だという論調が溢れている。 老後資金に2000万円必要という政府の見解が話題にもなったことで、さあ、大変だと思った人々も多いのではないだろうか。 しかし、どうもこの言葉が…

わが家の猫たち・その3

さて4匹目の猫の紹介であるが、名前はゴンちゃんと言う。私が勝手に思いつきで付けた名前である。ゴンちゃんは野良猫で、わが家の猫というわけではないのだが、もう何年もの間、ほぼ毎日、主に朝と晩にエサを食べにわが家に立ち寄るので、一応4匹目として紹…

ガン統計

厚生省がガンに関する最新の統計データを発表した。 ブログのタイトル上、この話題を避けて通ることはできないのだが、本音を言えば、既にガンに罹ってしまった人にはあまり興味がない情報かもしれない。何故なら既にかかった人の次の関心はその当該ガンの再…

わが家の猫たち・その2

さて、三匹目のトラの紹介である。 トラもご多分にもれず野良の出であるが、今は隣家の所属の茶トラの雄ネコである。 生まれて1年位で我が家の近辺を縄張りとしてうろついていた子猫であった。 見た目はごく普通の茶トラだが、これがとにかく人懐っこいので…

地球の累計総人口に関するとりとめもない話

地球の累計総人口は1120億人だそうだ。 つまり人類が地球に誕生して以来、今までに生まれて死んでいった人の数。 人類(ホモサピエンス)の誕生は紀元前5万年ごろだというから、数字が正しければ、約5万年(+2020年?)のあいだに1120億人の人が生まれてき…

わが家の猫たち

ブログというものがよく解っていない。 ので、「下咽頭がん顛末記」を書き終わってから、さあ次はどうしたものかと途方にくれている。日記のようなものを書いていけばいいのかもしれないが、誰でも閲覧できるのだから、そう簡単ではない。 昔から、思うこと…

下咽頭がん顛末記(6)QOL(クオリティーオブライフ)=平凡な日常

ところで、私の病室は4人部屋であった。 私は喉以外はどこも悪いところは無いので、他の患者さん達には申し訳ないが、鼻にチューブを入れたまま院内を歩き回り、テレビ三昧の日々であった。 唯一食事の時だけは、鼻のチューブに栄養剤を通すだけだったので…

下咽頭がん顛末記(5)そして、がん摘出手術

(続き)手術までの流れと術後の経緯 ところでT大学病院のC先生は食道外科の先生であり、私の下咽頭がんの手術には頭頚外科の先生が主治医として担当する必要があるとのことだった。 C先生の紹介で今後は頭頚外科のD先生が私の主治医として担当し、二人の先…

下咽頭がん顛末記(4)Y大学病院から➡別のT大学病院へ

<幸運その4> A先生の再びのアドバイスと運命の選択、C先生との出会い 次の私の幸運は、セカンドオピニオンの日までの間に10日ほどあいだが空いたことであり、その間に妻が再び地元のA先生と会う機会があった事である。 妻が以前から自分の胃カメラ検査の…

下咽頭がん顛末記(3)地元の総合病院から➡大学病院へ

Y大学病院への転院と治療方法の提示、セカンドオピニオンへ 翌日からは私はB先生の所属するY大学病院へ移り、更なる検査を受けることになった。第一印象は、この大学病院は大きくてきれいで設備が整っているということである。 建物の老朽化が目立っていた市…

下咽頭がん顛末記(2)耳鼻咽喉クリニックから➡地元の総合病院へ

<幸運その2> 耳鼻咽喉科受診からがん確定までのスピーディーな展開 ところで病気に縁の無い人生を過ごしてきた私は、 ん?耳鼻科?なんで? という感じだった。 耳鼻科が<喉>も扱う診療科だったとあらためて再確認した次第である。 それにしても、素人…

下咽頭がん顛末記 (1)胃腸科クリニックから➡耳鼻咽喉科へ

昨年の夏は私のこれまでの生涯の中で最も特別な夏になった。 7月中旬に私は咽頭がん、しかも咽頭がんの中では生活機能の温存が難しい下咽頭がんと宣告されたのだ。 そして、とうとう自分もがんになったというショックと不安の中で、次々と受けなければなら…

初めに

昨年、自分に起こった奇跡の経験を広く知ってもらいたいと思い、ブログを始めました。 タイトルから想像できるかもしれませんが、次回から、おいおい語っていこうと思います。 それと「猫な日々」というタイトルも文法的には???ですが、今の自分の生活に…