アメリカは病んでいる

今、アメリカは病んでいる。

トランプが圧倒的な得票で共和党の大統領候補に選ばれることになった。

私には、アメリカという国がよくわからなくなってきている。

自由と民主主義の国を標ぼうし、世界をリードしてきた、あのアメリカがである。

トランプが次期大統領に選ばれるかもしれない。

いわゆる、”もしトラ” であるが、、、

 

わからないのは、トランプ候補は、今、何件もの裁判、訴訟をかかえている人物であるということ。

しかも、その裁判のうち二つは民主主義の基本の選挙制度を根底からゆるがすものであるということ。

1.大統領選挙の結果を覆そうと議会への乱入を扇動した嫌疑

2.ジョージア州の選挙結果を覆そうと圧力をかけた嫌疑

アメリカは、これらの裁判の結果を待って、立候補の資格判断をするべきではないのか。

民主主義を守らない人物に、国の全権を委ねてしまってからでは遅いのだ。

犯罪者でも大統領になれば、免責されるというのが、アメリカの民主主義なのか。

 

そして、私は、理解できない。

他人への敬意を微塵も持たない、この自己中心主義の人物が、

アメリカの二大政党の一つである共和党を乗っ取りつつあるということが。

共和党は、もうすでにトランプ党になってしまったように見える。

 

アメリカが標榜し、世界をリードしてきた自由と平等の精神は、

トランプ氏とは真逆の側にあると私は思う。

しかし、この、はだかの王様は、残念ながら岩盤支持者という人たちにささえられている。そして、その人たちは多くが白人である。

彼ら白人たちは、祖父母や曾祖父母たちが、自由を求めてアメリカに渡ってきたという過去は、まったく忘れているようだ。

 

アメリカは、建国以来、移民によって創られた、移民の国なのである。

 

トランプ氏は、移民がアメリカを破壊するという。

しかし、自国第一主義で(もっと言わせてもらえば、自分第一主義で)、

分断を煽ってアメリカを破壊しようとしているのは、トランプ氏自身ではないか。

トランプ氏のおじいさんも、夢を抱いてアメリカに来た移民の一人であることを、トランプ氏本人は忘れてしまっっているようである。

 

自由を求めて来る人を受け入れるふところの広さが、自由の国アメリカではなかったか。

 

そして、もう一方の民主党のバイデンである。

もし仮にトランプを破り、次期大統領になったとしても任期末には86歳。

長寿国である日本人の平均寿命を超えている。

バイデンさんが、習近平プーチンと渡り合いながら、任期を全うできるとは思えないのだが。

今、アメリカは病んでいる。

 

追記

何十年も前だが、私はアメリカの国境の町に住んでいた。

その当時のアメリカは、他国からきた人に、もっと”おおらか”に接してくれた。

このブログの、

「古き良き時代のアメリカ 心象風景その1~」

アメリカの砂糖壺が壊れそう」

を参照されたい。

 

 

 

タレント見栄晴氏の下咽頭ガン

 

タレント見栄晴氏がステージ4の下咽頭ガンを公表しニュースになっている。

ところで、私がこのブログを始めたきっかけとなったのも下咽頭ガンである。

咽頭ガンが厄介だと思うのは、そこに声帯があることである。

当然、声帯を温存する条件での手術は限られてくる。

私も最初の大学病院では、声帯を無くすかどうかの深刻な判断を強いられた。

そして、(このブログの最初の記事にも書いたが)セカンドオピニオンに頼って、幸いにも内視鏡手術で治してくれる先生が見つかったことで、今は普通の生活が送れている。

 

見栄晴氏の場合はステージ4と言うことで、私の場合より深刻なのだと推測される。

ステージ4の5年生存率は50%だと聞いた。

 

私の理解では、下咽頭ガンは扁平上皮ガン(喉の表皮粘膜のガン)で、転移さえなければ、そして罹患範囲がある程度の面積までなら切除可能である。

見栄晴氏は、抗ガン剤と放射線併用で治療すると発表にあった。

想像に過ぎないが、声帯を回避する切除手術が難しかったのか、あるいは、リンパ転移が進んでいたということだったのか。

見栄晴氏も大きな決断をした。

だが、記事やニュースを見る限り、ご本人は気力に満ちあふれているようにお見受けする。

 

同じ下咽頭ガンの患者として、見栄晴氏の治療の成功をお祈りしたい。

私自身も、ガンの摘出手術から、4年4ヶ月過ぎているが、寛解宣言という状態まで、まだ油断はできない。

患者は医者を選べるか(2) 私の場合=1度目のガン

2019年の7月22日 私は下咽頭がんの宣告を受けた。

 

翌週の7月29日 Y大学病院で治療方針の説明を受けた。

Y大学病院では、放射染治療か、全摘手術の二つの治療方針しかなかった。

つまり、私のがんは初期ではあるが、広範囲に広がっているため、手術の場合は、全摘出=つまり、声帯を失い、首に呼吸のための穴を開ける手術が必要と宣告された。

私はその場では、放射線治療を選び、同時にセカンドオピニオンを依頼することとした。

そして、奇跡がおきた。

 

8月3日 妻がたまたま予定していた地元のクリニックの先生の診察を受けた時、私の状況を相談して、T大学病院のK先生のことを教えてもらったのである。

(ちなみに、このクリニックの先生もとで受けた内視鏡検査が、私のがんを発見するきっかけとなっていた)

*そのT大学病院のK先生は、新しい内視鏡技術の応用によって、手術の適用範囲の拡大という、私の状況に完全に合致した内容の発表を各方面で行っていた。

8月5日 Y大学病院で紹介状を受けとり、T大学病院へ直接持ち込んだ。

8月6日 偶然にも、T大学病院のK先生は、「頭頸部表在がんの内視鏡診断と治療」というプレゼンテーションを医学専門チャンネルで発表している。

そこには、(専門的なことはわからないが)

①近年消化器科医が、頭頸部表在がんの治療に積極的に関わる時代になってきたこと。

②新しい内視鏡技術の内容、適用範囲

等が紹介されていた(と思う)。

 

8月13日に、K先生のアポイントがとれ、私は、T大学病院のK先生を直接訪問し、セカンドオピニオンの面談を受けた。

8月16日 最終確認のため、K先生から直接、内視鏡検査を受け、その場で内視鏡手術が可能との返事を頂いた。

 

K大学病院とT大学病院との治療方針の差はなんだったのか、、

 

咽頭ガンで悩んでいる人がいたら、私は迷わずT大学病院のK先生を紹介したいと思う。

毎年、年一回のフォロウ検査を受けているが、4年経った今でも再発はない。

T先生からは「来年の検査が卒業試験だね」と言われている。

 

私は、幸運にも、T大学病院のK先生のたどり着くことができた。

しかし、一般的に、患者個人が、最適な医者を選択できるかと言うと、難しい。

いくつかの奇跡が重なって、今、私は普通の生活が送れている。

 

(経緯の詳細は、このブログの最初の「下咽頭ガン顛末記」を参照されたい)

 

患者は医者を選べるか?

数年前まで、主治医というものがいなかった。

だが、財布の中には、今や何枚もの診察券が入っている。

このブログを始めるきっかけとなった下咽頭ガンになって以降、お世話になる医者が増えた。

それは、健康管理に気を遣うようになったと言うことでもあるし、年相応に体にガタが出始めてきたと言うことでもある。

医者にかかる度に、診察券を忘れそうなので、何枚もの診察券をまとめて持ち歩いている。

それにしても、最近の診察券は電子カードになっているので、それなりに分厚い。財布(カードケース)がパンパンである。

 

さて、話は変わるが、我々は体に不調があると医者にかかる。

その際の医者のチョイスは患者側にある。

たいていの場合、まずは近所のクリニックの中から、条件に応じて選ぶことになる。

そして、深刻な病気かもしれないとなると、より精密な検査を行うために、総合病院を紹介される。

その場合は病院は選べるかもしれないが、通常の場合は担当の先生(医者)は選べない。

それから先が問題だ。

深刻な病気だったら、治療方針が重要で、担当する先生の治療方針がい良いのか悪いのか悩んで、ネットでいろいろ調べたりする。

しかし、ネットには情報があふれていて、素人は、何を選べばいいのかわからない。

偏っていたり、間違っていたり、宣伝広告の一部だったり、正しい情報にたどり着くのは大変である。

つまり、信頼できる先生(医者)にたどりつけるかどうかは、その時の運次第と言える。

(あくまで深刻な病気の場合だが)

 

一方、医者の側からはどうだろうか?

病院の待合室には患者があふれている。そして、大抵の場合、患者は医者の診察を受けるのに長い間待たされている。

つまり、医者にとっては、目の前に患者が次々と流れてくる状態なのだ。

言葉は悪いが、患者の診察は、医者の先生にとっては流れ作業のようでもある。

医者も患者を選べるとは言えないのだろうし、そんなことはあってはいけないと思う。

 

医者と患者の、特に患者側からみたマッチングは、ある種、運命的なものがある。

二度ガンになってみて、最近、つくづく思うことである。

トラのケガ

ある朝、トラがいつものように外出した。

しばらくして、庭の枯草の束の上にうずくまっているのが家の中から見えたので、

吐き出し窓を開けてやると、いつものように跳んで入ってきた。

だが、様子がおかしい。左の後ろ足が浮いている。

つまり、3本足でピヨンピヨンとあるいている。

足の裏にとげでも刺さったのかと思い、近くの医者に連れて行った。

なんと、足の指につながる骨が三本も折れていた。

原因が不明だ。車にでもはねられたか、あるいは何か細いところに足が挟まってしまい、強引に抜いたか。単に、ぶつけただけでは3本も折れないだろう。

と言うわけで、今はギブスをしている。さらに、そのギブスを噛んだりして壊されないように、首にカーラーを付けてエリマキトカゲ状態である。

そして、そのカーラーをあちこちぶつけながら”元気に”三本足で動き回っている。

不自由な恰好でも、しきりに外へ出せと啼いている。

痛みはあるのだろうが、本人はいたって元気だ。

 

ところで、(ある程度覚悟はしていたが)今回の治療で人間以上の治療費がかかったのには驚いた。

勿論、保険などないから、直に治療費がかかってくる。

 

もとはノラだったのにという思いが、一瞬頭をよぎるが、すぐに今は家族の一員だからと思い直す。

 

かわいそうだが、、、

たらいから、たらいへ

盥(たらい)から 盥(たらい)へうつる ちんぷんかんぷん

 

小林一茶の辞世の句である。

つまり、「たらい」から「たらい」とは、生まれた時に浸かる「産湯の桶」から、死んだときに入る「棺桶」まで。

そして、その間の人生は、ちんぷんかんぷんだったということ。 

 

一茶は、死を意識した最期の瞬間でも、人生はよくわからないと感じたのだろう。

一茶も波瀾万丈の人生を送ったらしい。

だけども、一茶には”俳句”という生きるうえでの拠り所があった。

 

確かなことは、死があると言うことは、生きていたという証である。

つまり、ちんぷんかんぷんな人生が存在すると言うこと。

人にはそれぞれの”生”があって、それぞれの”ちんぷんかんぷん人生”があるのだ。

 

また、

よくわからない文章になってしまった。

一茶のように達観するのはむずかしい。

 

 

中国の処理水放出反対に対し思うこと

中国が、かたくなに日本の処理海洋海洋放出に反対している。

なんの科学的根拠もなしに、だ。

つまり、日本の科学的根拠に基づく説明を無視している、極めて政治的な反対表明である。

しかも、自国では、複数の原子力発電所から、大量に(日本の処理水の6.5倍)トリチウムを空気中に放出しているのにだ。

私に言わせれば、反対するなら、自国の原発トリチウム放出もやめろと言いたい。

空気中はOKだが、海中は違うらしい。それなら、その根拠を科学的に説明するべきではないか。 なんと自分勝手な国だと思う。

日本からの水産物輸入禁止禁止、上等ではないか。もう、こう言う国とはあまり付き合わない方がいいと思う。

ところで、

当然、違法操業、乱獲のために日本近海へやってくる漁船は取り締まってくれるのでしょうね。

同じ海で獲れても、中国の船が獲る魚はトリチウム無関係で、国内流通OKなんてことがないとは思うが、、、

 

前にも少し書いたことがあるが、独裁者の支配する国は、その独裁者の人間的成熟度が重要というか、いかに人間性に基づいた正当な判断ができるかに政治は左右される。

プーチンしかり、習近平しかり、トランプは、かろうじて民主主義の国にいたから、排除された(まだ、しぶとく、くすぶっているが)。

簡単に言うと、独裁者が、"まとも"かどうかで、その国の先行きが決まってくるのだ。

前回記事の「リー・クアンユーシンガポール」をみてほしい。こういう独裁的な指導者もいたのである。彼は、自分の利己ではなく、国の未来をみていた。

指導者の資質によって国の未来が決まってくる。