下咽頭がん顛末記(4)Y大学病院から➡別のT大学病院へ

<幸運その4> A先生の再びのアドバイスと運命の選択、C先生との出会い

次の私の幸運は、セカンドオピニオンの日までの間に10日ほどあいだが空いたことであり、その間に妻が再び地元のA先生と会う機会があった事である。

妻が以前から自分の胃カメラ検査の予約を入れていたので、私のがんの早期発見のお礼も兼ねて、私の状況をA先生に説明したようである。

そして、その次の私の幸運は、A先生が直前にT大学病院のC先生の学会での講演を聴いていたことであった。そして妻はA先生から非常に貴重なアドバイスを受けることになるのである。

C先生の講演内容は、最新の内視鏡による食道がんの手術についてであった。

そして食道がんの手術も、下咽頭がんの手術も基本的には同じだということで、T大学病院のC先生のことを詳しく調べて、妻に教えてくれたのである。

つまり、喉は食道や胃の延長であるという、私の素人考えがまんざら外れてもいなかったのである。

あとで知ったことであるが、実際、食物を胃に運ぶ役割をもつ咽頭と食道は扁平上皮という同じ上皮組織に覆われており、そこにできるがんへの対応も治療技術も同じなのである。

私自身、これは運命だと思った。そして、憩室炎から始まった自分の幸運の流れが続いており、私は絶対にこの流れに乗るべきだと考えた。

そして予約をしていた国立がんセンターセカンドオピニオンをキャンセルして、非常に細い糸ではあるがT大学病院のC先生に頼ることにした。

勿論この時点でC先生とは何の面識もなく、C先生の名前はネット上で食道外科関連の資料や論文に散見するだけであった。

日曜日を挟んで翌月曜日、B先生には急遽、セカンドオピニオンの紹介状の宛先を変更してもらった。そして、地元のA先生C先生の学会の講演内容を紹介してもらったことなどの経緯と、是非アドバイスをいただきたいという趣旨の自筆の手紙を書き上げ、T大学病院へ持参した。

通常、セカンドオピニオンの申込書は郵送なのだが、時間は刻々と過ぎていくし、郵送するのがもどかしかった。多少焦ってもいた。

そして幸運にも2日後にT大学病院から連絡があり、翌週の火曜日にC先生によるセカンドオピニオンを受けさせてもらえることが決まり、細い糸が繋がったのである。

C先生は思っていたより若く、穏やかそうな先生だった。そして、紹介状に添付されている写真の内容だけでは判断できないとのことで、C先生による内視鏡の精密検査を受けさせてもらえることになった。

その結果、”がんの範囲は広いが内視鏡による切除手術が可能”と診断されたのである。

私は、C先生を頼って東京のT大学病院へ転院することにした。最初にがんを診断してくれたB先生には丁重にお礼を言って転院の報告をした。B先生は少し残念そうであったが快く承諾してくれた。

私の勝手な考えだが、病院には症状によって、それぞれ各部門の治療方針の基準があり、治療の判断の画一化は避けられないのであろう。

私のケースでは、内視鏡による切除手術はB先生の病院の方針に当てはまらなかった。今思えば大方の病院はそうなのかもしれない。ということは、私はある意味標準外の治療を選んだことになる。

私は、これまでも、人生の色々な場面で大小様々な決断をしてきた。失敗もあったし反省もある。しかし今回の決断は残る人生をかけた、これまでで最大の決断であった。退路は断たれた。(続く)