古き良き時代のアメリカ 心象風景その1 エルパソの夜景

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エルパソの夜景


最近、アメリカの人種差別が大きな問題としてニュースになっている。アメリカ人にとってこれは建国以来の根深い問題であるのだが、小さいころからの差別感情の蓄積は、一般的な日本人にはわかりようがない。

人種と言う概念を身近に感じない環境で育ってきている我々は、断片的な知識と理屈だけでこの問題についてまことしとやかに意見を述べるのは差し控えるべきだと思う。

因みに、私はアメリカで通算11年間、それぞれ特徴のある三つの街で暮らしたことがある。海外駐在という特殊なビジネス環境に置かれていたためか、その時代に私が暮らした街では人種差別というものをを身近に感じたことは無かった。

人種のるつぼと言われているアメリカであるが、私自身が感じたのは様々な人種が適当な距離を置きながら生活していて、むしろ人種の砂糖壺(混ざり合わない)という感じだろうか?

そんなことを考えていたので、ここでは、私が昔の古き良き時代にアメリカで暮らした時のことを話してみたい。

 さて、40年以上も前の話になるのだが、、、

私は会社の命令でアメリカのテキサスのエルパソという小さな町へ赴任することになった。当時は成田に新国際空港ができたばかりで、真新しい空港の出発ロビーに会社の同僚たちが見送りに来てくれたのを覚えている。

今ではだれもが気楽に海外へ出かけていく時代だが、当時は海外赴任と言うと、結構な覚悟が必要な、人生の一大事であった。付け加えれば、私はまだ20代後半の若輩でもあった。

そして、経由地であるロサンゼルスに向かう機内の10時間余りは、その後の生活に対する不安と高揚感で様々な思いが交錯して何とも言えない気分であったのを覚えている。

当時の私は、英検2級の資格は持ってはいたが、そんなものは実際には何の役にも立たないと覚悟はしていた。実際、現地で生活を始めてみると予想通りであったが、人間はいざとなれば何とかやっていけるものである。

ところでエルパソへ飛行機が着いたのは夜だったが、着陸態勢に入った飛行機の窓から見えた街の夜景が大変美しく、感動的だったことは今でも鮮明に思い出される。その時の私には、小さなエルパソの街の夜景が、それまで見た夜景の中で一番美しいと感じられたのである。

当時はパソコンもスマホも、勿論インターネットも無かった時代である。エルパソという街についての事前の情報を得る手段は殆ど無く、もっと小さな田舎町を想像していたこともあって、予想以上の美しい夜景の広がりは衝撃的な感動であった。

大きなビルが立ち並んでいるわけではない。むしろ、やわらかい民家の灯りが広がっている。自分はこれからこの街で暮らしていくのだという高揚感も強かった。

あとから分かったことだが、実際にはこの街の夜景はリオグランデという国境の川をはさんで、アメリカ側のエルパソとメキシコ側のフアーレスという二つの街の灯りの合体であった。

そして、エルパソテキサス州の西端にあり、高台に登れば、隣のニューメキシコ州テキサス州、そしてメキシコのチワワ州と2国3州が見渡せる位置にあるのだ。

今調べてみると、エルパソ(El Paso)はもともとスペイン語で”峠”という意味だそうだが、私はてっきり英語で”The path”と言う抜け道の意味だと思っていた。

昔はアメリカ側で銀行強盗を犯した犯罪者たちがメキシコへ逃げる抜け道だったとか。

そう言えば、街を少しはずれると昔の西部劇に出てくるような荒涼とした大地が広がっているのだ。

1978年の11月、私はこの街で新しい生活をスタートさせた。(続く)