古き良き時代のアメリカ 心象風景その3 異国生活のスタート 

 私の記憶が正しければ、当時のエルパソは人口30万人程度の街であったと思う。メキシコとの国境の街であったことから、当然ヒスパニック系の人口が多かった。

英語とスペイン語両方をしゃべれる人が三分の一程度いたが、英語がしゃべれなくて、スペイン語のみという人も三分の一程度いた。勿論、英語しか話さない残りの三分の一の人々は、主に白人系で黒人は少なかったように思う。

つまり、この街では英語がしゃべれなくても不思議ではないし、カタコトの英語でも暮らしていけたのだ。その点、私のようにどっちもおぼつかない人間は精神的には助かる場面もあった。

因みに、何百キロも離れたヒューストンの領事館から連絡があり分かったことだが、この街に住んでいた純粋な日本人は、私と、(後に合流する)私の家族だけであった。

前述したが、”国力”とは国土の広さも大きく影響している、と当時は思ったものだ。エルパソはI-10(インターステート10)という片側3~5車線あるような、しかも1車線の幅に相当ゆとりがある、本当に広い国道が街の中心を貫いていた。

そしてこのI-10に沿ってゲートウェイという名前の一般道が側道として走っていた。I-10は信号が無いフリーウェイで、(勿論、高速道路だが無料なので)そのゲートウェイを使えば街のどこからでもI-10に乗り降りできて便利だった。エルパソという街はこのI-10を中心に広がっていた。

私は、住むところを街の中心部からやや外れかかった所にあるアパートに決めた。I-10からは降りてすぐのところにあるので、どこに行くのも便利であった。

家族を半年後に呼び寄せることにしていたので、住居はある程度セキュリティーのしっかりしたところにすると決めていた。会社の規定で、初めての海外赴任の場合、仕事と現地の生活に慣れることを優先させる為、6カ月間は家族は帯同できないことになっていた。

The Citadel(城塞)という名前のそのアパートは、敷地内に入る為にゲートがあり、中は広く、屋外と屋内のプールがあった。それぞれの建物は大きな木々に囲まれ、緑が多く閑静な雰囲気を醸し出していた。中庭のところどころにはバーベキューができる設備もあった。

そして今の日本では当たり前かもしれないが、各戸別にセントラル冷暖房システムは勿論、洗面所もキッチンも蛇口をひねればお湯が出てくるのには驚いた。戸別の全館冷暖房も、全給湯の設備も当時1978年ころの日本では完備している家は少なかったのだ。

私が借りた部屋はいわゆる2LDKであったが、日本で一般的に連想されるアパートの部屋からは考えられない広さで、なんとトイレが2か所もあったし、備えられていた家具類も非常に満足できるものであった。(アメリカでは家具付きの部屋が一般的である)それでも当時の家賃は、記憶によれば4~500ドル前後だったと思う。

 さて、アパートの中央部には住人がパーティーなどに利用できる多目的室があり、その隣に管理人室がった。管理人室は、誰もが入りやすいようにいつもドアが開け放たれていたと思うのだが、品のいい、面倒見の良さそうな、白人のおばさんが常駐していた。

その管理人のおばさんは、私の拙い英語を一生懸命理解しようとしてくれたので非常にありがたかった。実際、私には、生活のことで相談する相手はこの管理人のおばさんくらいしかいなかったのだ。

このアパートの隣りには大きな食料品のスーパーとその隣に衣料雑貨のスーパーがあった。隣りと言っても歩いて行ったら結構な距離がある。10-15分くらいは歩くだろうか?当然、車で行くことになる。

ところで、このスーパーは私が赴任当初、休日の時間を潰す為の格好の場所でもあった。今では日本でも、郊外を中心に超大型スーパーが決して珍しくはないが、当時の私には倉庫のような超大型スーパーは未体験の驚きであった。品ぞろえも日本人には珍しく、興味をそそる物だらけで、裕に2~3時間を過ごせる場所であった。

因みに、まだ一人で住んでいた時は、この広い食品スーパーで夕飯の買い物をして自炊をしていた。当然日本の食品は売っていないし、海から遠く離れている土地柄で生の魚は無かった(ナマズは売っていたが)。

豆腐は時々売っていたが、消費期限が心配で買わなかった。又、大根がdaikonと表記されて売っていたのには感激したが、店員はその物が何かよくわからないようであった。

そんなある日、牛肉の塊を買ってきて焼いて食べたのだが、焼き方が悪かったのか、その夜は急に激しい腹痛に襲われ一晩中ベッドでのたうち回っていた。

管理人室に飛び込める時間でもなく、医者への連絡をどうすればいいかもわからず、なんとも情けない思いで夜通しすごしていたのだ。結局、朝になると腹痛は消えていたのだが、見知らぬ国での一人暮らしはこういうことも覚悟しておく必要があるのだ。

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初めて住んだアパートの現在 昔と殆ど変わらない趣を残している。

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アパートの前の広い道 車での移動が普通なので人通りは無い