古き良き時代のアメリカ(追記 猫の話)

(追記 猫の話)

ところで、標記のタイトルでエルパソの生活を書いてきたが、このブログのタイトルでもある”猫”のことを書き忘れていたのに気付いた。

猫が私の人生に最初に関わったのは、エルパソ時代の最後の半年に、”唯一”仕事場で一緒だった、一匹の猫であった。

ある時事務所で仕事をしていると、どうも倉庫に何かがいる気配がする。

倉庫は製品で埋まっており、人が奥まで行けないような場所もあったので、なかなか正体がわからなかったが、やがて糞が見つかるようになり、野良猫が一匹住みついているのがわかった。

最初見かけた時は、痩せこけていて、エサもない場所でどうやって生きてきたのか不思議だった。勿論しばらくは、私にまったく寄り付かなかったが、多分そのまま何もしなかったら、倉庫の片隅でのたれ死んでいたと思う。

私はスーパーで猫のエサを買ってきて、毎日見えるところに置いておいた。

やがて、エサを食べに出て来るようになり、やせ細ってガリガリだったノラは、徐々にふっくらとした体形になり、私に気を許して体をさわらせ、じゃれるようになっていった。そして、事務所の中の来客用の椅子がノラの指定席になって、最終的には私の相棒のように、いつも私のそばで私の仕事を見守るようになっていたのだ。

ノラがそばにいる仕事場は当たり前になり、夜遅くまで仕事をしている時でも、一人だけという不安もなくなり、落ち着いて仕事ができた。そして事務所を後にする時には、ノラに”また明日”と声をかけるのが日課になっていた。しかし、ノラは極端な人見知りで、私以外の人がいる時は姿を現わさず、決して建物の外に出ようとはしなかったのである。

そして、私はLAへ引越する時、仕事場だった事務所と倉庫を閉めていくことになるのだが、その時、このノラを連れていくという考えが全く頭に浮かばなった。

とにかく中に閉じ込めて鍵を閉めるわけにはいかない。しかしで外に出しても、ドアを閉める前に中に入ってきてしまう。何回か繰り返したのち、又誰かに拾われることを祈って、断腸の思いで、エサと一緒に外に置きざりにしてその場を去った。

今思えば本当にかわいそうなことをしたものだが、当時はほかに考えが全く及ばなかった。

この時の反省から、私の飼っていた猫たちはそれ以降、どこに引っ越しても一緒に連れていくことになる。ある時シカゴへ転勤になった時は、当時買っていた2匹を日本からシカゴまで連れて行った。東京からの十数時間の機内では、鳴き声がうるさくてだいぶ気を使った。シカゴの借り家では庭にリスが来るのだが、わが家の猫はそのリスとケンカをしていた。リスが、木の幹の上から下に向かって威嚇し、下から我が猫が上に向かって威嚇している体である。

 神奈川県の小さな町で拾われ、シカゴへ行き、その後、大阪→横浜→千葉→再び、神奈川へと、私の仕事の都合で点々としたこの2匹の猫たちは、それぞれ天寿を全うし、天国へ旅立っていった。今でも骨壺がわが家にある。

以上。