下咽頭がん顛末記(3)地元の総合病院から➡大学病院へ

Y大学病院への転院と治療方法の提示、セカンドオピニオン

翌日からは私はB先生の所属するY大学病院へ移り、更なる検査を受けることになった。第一印象は、この大学病院は大きくてきれいで設備が整っているということである。

建物の老朽化が目立っていた市民総合病院に比べると大きな違いである。

駅の改札口から連絡通路が直結していて、敷地内にはカフェやコンビニ、レストランも蕎麦屋もある。

しかし、建物がどんなに立派で清潔そうでも、相変わらずロビーは患者であふれており、待ち時間は長く、待合室には重い空気がよどんでいた。クラークと呼ばれるスタッフが、意識して明るく振る舞っている感じがする。

Y大学病院に移ってからも、主にがんの転移の有無を調べる為に、再度の採血、採尿、心電図、再度の胃カメラ、首から喉へかけてのエコー、そしてPETと色々な検査が続いた。

そして一週間後に、この大学病院の耳鼻咽喉科としての治療方針の説明を受けることになる。それ以前にB先生からは、喉の全摘手術の可能性について示唆されており、それが私の不安を煽っていた。

”全摘手術”、それは喉の機能を失うことであり、声を失うことも意味する。

私は大学病院で検査を受けている間の約一週間、ネットで下咽頭がんとその治療例について出来る限り調べた。しかし所詮ネットでの素人の調査には限界があるし、思い込みやうわべの知識に左右されることになる。

病院の実力とか、先進医療とか、ロボット手術とか、ましてや良い医者にどう巡り会えるかなんてわかる筈はなく、虚無感が漂う。

そして、治療方針が告げられる運命の日がきた。

A先生胃カメラ検査からわずか16日後のことであり、ここまでは極めてスピーディーな展開であった。

当日は、B先生のアドバイスで妻以外にも二人の子供たちが治療方針の説明に同席することになった。

案内された部屋には、多分10人ほどのお医者さん、看護師さん、あるいは研修医も居たかもしれないが、ほぼ全員が立っていた。

そして中央の椅子に耳鼻咽喉科のトップである部長先生が座っていて、傍らには記録担当の先生がパソコンに向かっていた。私の担当のB先生は部長先生のすぐ後ろに立っていた。

そして部長先生の診療科としての治療方針の説明が始まった。

私のがんは初期の発見ではあったが、下咽頭部の広い範囲に広がっており、がんの部分だけを除去するのは難しく、治療の方法としては、喉の全摘手術か、放射線による治療のどちらかしかないとのことであった。

全摘手術の場合でも、声帯は無くなるが訓練次第では食道から声を出せるようになるし、出来ない場合でも機械を喉に当てて機械音で会話ができるようになるとの説明があった。

又、呼吸は胸の上部に開けた穴からすることになる。当然、風呂の湯には胸までしか浸かれない。嗅覚も無くなり匂いがわからなくなる。

一方、放射線治療では喉の機能は温存できるが、完治しなかった場合は全摘手術にならざるを得ない。抗がん剤の併用で再発のリスクは減るが、私の場合は腎臓の機能が正常の数値にはやや足らず、抗がん剤の併用が難しいとのことであった。

ひと通りの説明が終わり質疑応答になった。

私はこのまま何もしなかったらどうなりますかと聞いてみた。部長先生は少し驚いたようだったが、如何に治療が大事かを説明していたと思う。しかし私にはその内容は殆ど入ってこなかった。

というよりも答えはどうでもよかった。少し抵抗してみたかっただけである。自分の中で答えは決まっていた。

今まで、普通に暮らしていた自分が、明日から喉の機能が無くなる生活なんて私は絶対に嫌なので、放射線治療をお願いしますと部長先生に告げた。

そしてもう一つ、セカンドオピニオンを他の病院に依頼したいとも。

セカンドオピニオンは近年ではどこの病院でも行っているサービスの一つである。

部長先生も快く受け入れてくれ、セカンドオピニオンの病院を選ぶ為の相談に乗るようにB先生に指示を出して約一時間のミーティングは終了した、

セカンドオピニオンを受ける病院はB先生と相談して、一番症例数の多い国立がん研センターに申請することにした。

ところでこのセカンドオピニオンは一般的にはそう多くは受けられない。

何故なら一回4万円程度の費用がかかる。勿論、保険は適用外である。大体、どこの病院でも同じような金額を設定しており、一般の人が何件も受けられる金額ではないのだ。

しかし、このセカンドオピニオンが私の運命を大きく左右することになった。

 

ところで病院のホームページを見ると、どこの病院でもQOLを重視する治療方針を掲げている。クオリティ・オブ・ライフ、つまり生活の質を落とさない、患者本位の治療方針であり、この大学病院のホームページにも確かにそう書いてあった。

私のケースはその範疇にあらずということなのか。”がんを治す”とは、健康になるとはどういうことなのか?つくづく考えてしまった。

そして、B先生に紹介状を書いてもらい、国立がんセンターとの電話でのやりとりの結果、10日後にセカンドオピニオンの日程が決まった。10日ほど何もせずに過ごすことになり、気持ちは焦るが待つしかない状況であった。(続く)