2020-07-01から1ヶ月間の記事一覧

古き良き時代のアメリカ 心象風景その7 次の赴任地へ

エルパソでの生活が3年ほど過ぎたとき、私はLA(ロスアンジェルス)への転勤を命じられ、家族と共に移動することになった。その時には、わが家には2番目の子(息子)が増え、3歳の娘と1歳未満の息子の4人家族になっていた。 赴任から3年も経ち、最初にこの街…

古き良き時代のアメリカ 心象風景その6 世界最長の国境

ところで、純粋な仕事上の問題・課題は別にして、エルパソでの仕事や生活では、事件と呼ぶべきことも多々あった。それぞれの場面でよく対処できたものだと思うが、今思えば何とか乗り切れてきたことに感謝である。 ある時は、真夏の熱気で地面のアスファルト…

古き良き時代のアメリカ 心象風景その5 エルパソでの生活

さて、一人でアパートと仕事場との往復をしている間は、当然だが、日本語を話すことはない。一週間以上もそんな日々が続くとストレスが溜まっておかしくなってくる。 まず日本語で考えて、英語に置き換えて話すという作業は精神的に疲れるものだ。 英語での…

古き良き時代のアメリカ 心象風景その4 国境での仕事

エルパソでの私の仕事について少し述べてみたい。前に書いたようにアメリカとメキシコではNAFTA協定によって、メキシコで生産した製品をアメリカ側で販売する際には優遇税制が適用された。 私の勤めていた会社は電子部品を製造販売する会社であったが、この…

古き良き時代のアメリカ 心象風景その3 異国生活のスタート 

私の記憶が正しければ、当時のエルパソは人口30万人程度の街であったと思う。メキシコとの国境の街であったことから、当然ヒスパニック系の人口が多かった。 英語とスペイン語両方をしゃべれる人が三分の一程度いたが、英語がしゃべれなくて、スペイン語のみ…