古き良き時代のアメリカ 心象風景その6 世界最長の国境

ところで、純粋な仕事上の問題・課題は別にして、エルパソでの仕事や生活では、事件と呼ぶべきことも多々あった。それぞれの場面でよく対処できたものだと思うが、今思えば何とか乗り切れてきたことに感謝である。

ある時は、真夏の熱気で地面のアスファルトが溶け、倉庫のドックにつけて置いておいた40フィートのトレーラーが傾いてしまったこともあった。

通常、トラックの運転手は、トラックの頭の部分を切り離して、トレーラーの箱の部分をドックにつけたまま置いていく。支えているのは後ろはタイヤだが、前の部分は細い鉄製の足だけになる。中の製品をすぐ下ろせればいいが、しばらくそのまま置いておく場合もある。

エルパソの夏は暑く40度以上の気温が続くことも多い。滅多にないことだが、中の製品の重みで、トレーラーを支える足が溶けたアスファルトの地面にめり込んでしまったのだ。実は、その傾いたトレーラーをどう立て直したかあまり記憶がない。多分相応の巨大なクレーン車が必要だったのではないか。結構な人だかりがしていたことだけは覚えている。

そして、自然現象が原因と言えるこの事故の処理にかかった費用だが、運送会社の担当営業マンと交渉の末、結局折半にしてもらった記憶がある。後から考えると、トレーラーが傾いただけでよかったと思う。横転していたら大事件だった。

それから、夜中に倉庫の裏の壁に人が一人通れるくらいの穴を開けられ、中の製品が盗まれる事件があった。建物の裏手には鉄道の線路が走っていたが、基本、誰でも敷地内に入ってくることができ、裏から壁に穴を開けるのは容易であった。

この場合も、その時私がその事件をどう処理したかは、あまりはっきりとは覚えていない。多分警察に連絡し、被害届を提出し、(私の管理していた事務所兼倉庫はレンタルだったので)隣りのオーナーのところに駆け込んだのだと思う。

そしてある夜は、何故か消防署から自宅まで電話があった。倉庫兼事務所のシャッターが開いているので、泥棒に入られたかもしれないから来てくれと言う。あわてて現地へ行くと、暗闇の中、確かにトレーラーから荷卸しをするシャッターが不気味に二つともワイドオープンであった。パトカーや、何故か消防車も出動していた。

実はこれは、私が事務所のドアのかぎだけ閉め、シャッターの方を単に閉め忘れて帰ってしまっただけのことだった。パトカー、消防車の出動というかなりおおごとになってしまい、ただただ平謝りするしかなかった。

またある夜は、アパートの部屋に空き巣に入られたこともあった。夜、外食から帰って来た時、窓が割られ誰かが侵入してきた形跡が残っていた。テレビが動かされ、部屋の中が荒らされ、こまごましたアクセサリー類が盗まれていたが、大きな被害は無かった。

実はアパートの名前はCitadel(要塞)という名が付いていたが弱点もあったのだ。私たちが借りていた部屋は一階の角部屋で、隣りにはアパートの敷地を囲う塀があったが、その塀の向こう側は(当時は)まだ荒野が広がっていたのだ。つまり、塀のこちら側と向こう側で別世界なのである。そして、塀を超えて敷地にさえ入れば、リビングの窓と塀の間は死角になっていたのである。

時間外ではあったが、私は管理人のおばさんのところに駆け込んだ。警官が二人来て中の状況を確認していった。何か書面に記入してサインさせられた記憶があるが結局それっきりであった。

後で考えると、泥棒と鉢合わせしなくて幸運であったと言えよう。あるいは、我々が帰って来た気配に気づいてあわてて逃げたので、被害が少なかったのかもしれない。いずれのケースも、勿論、自分一人で解決できたわけではない。その点、それぞれの場面で手助けしてくれた人々に感謝であり、私はとてもラッキーだったと思う。

一つ言えるとすれば、エルパソには”こそ泥”が多かった。上記以外にも日常的に小さい窃盗事件に遭遇したが、逆に凶悪犯罪は少なかったように思う。街が発展してきた背景も影響していると思う。

何しろ、アメリカとメキシコの国境は、豊かな国と貧しい国が接する、世界最長の”地続き”の国境なのだ。そして、エルパソはその中継点を担っているいくつかの街の中の一つなのである。

 

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