下咽頭がん顛末記(6)QOL(クオリティーオブライフ)=平凡な日常

ところで、私の病室は4人部屋であった。

私は喉以外はどこも悪いところは無いので、他の患者さん達には申し訳ないが、鼻にチューブを入れたまま院内を歩き回り、テレビ三昧の日々であった。

唯一食事の時だけは、鼻のチューブに栄養剤を通すだけだったので、他の患者さんの食事が羨ましかった。

私が居た部屋は頭頚外科の病室で色々な患者さんがいた。その患者さん達と看護師さんとの会話が聞くともなしに聞こえてくる。

一人は既に喉の機能を失っていて、看護師さんとのやりとりは筆談だったが、看護師さんの話から、更に抗がん剤の投与が必要なようである。

もう一人は一人暮らしの初老の患者さんだが、鳥取の地方病院からの紹介で喉の全摘手術を受ける為にこの病院に来ているようだ。どうも糖尿病らしく食事のたびにインシュリンを投与していた。手術後は声帯を失うことから、鳥取の自宅に戻ってからの一人暮らしに支障が出る。その為、介護保険を申請しヘルパーを頼むこと等も、看護師さんとの相談内容から聞こえてきた。

つまり、一口にQOLと言っても、がんに罹った人の治療・手術とその後の生活の質を如何に守るかについては、様々な形がある。その意味で、私のケースは超が付くほどの幸運だったのである。

 私は 火曜日に入院して、水曜日に手術を受けたが、以降の三日間、土曜日まで飲まず食わずで、鼻からの栄養剤補給で過ごしていた。

そして日曜日の朝D先生の診察を受けた。

その際、当日の朝と昼にお粥を中心とした食事ができるようになったらという条件付きで、なんと、急遽、午後に退院ということが決まった。

久しぶりの口からの食事は問題なく、なんでもない病院食がとても美味しかった。手術から退院まで5日間という、なんともスピーディーで、あっけない流れであった。

 

退院してから9日後にD先生の再診を受けた。

結果は良好でがんの部分はきれいに切除されており、あとは、喉の手術部分の粘膜の回復を待つだけとのことであった。

そして粘膜が再生してくるときは、広範囲な場合は粘膜同士の癒着を起こしやすい。

それを防ぐ為に、新しい試みとしてD先生は人工筋膜を貼ってくれたのだが、この筋膜もしっかり付いているとのことだった。因みに、この人工筋膜は回復過程で自然消滅するそうである。

 

そしてその後の3カ月ごとの定期チェックでも、特に大きな問題が発見されずに現在に至っている。T病院へ定期チェックに行く際は、毎回、C先生D先生の二人を受診し、耳鼻咽喉科、食道外科の二人の先生の連携でしっかり術後観察を受けられていることが非常に心強い。

咽頭がんにかかる確率は10万人に3人、0.003%だそうだ。そしてその主な原因は飲酒と喫煙とのことである。私自身、酒は毎日飲んでいたがタバコは30年以上前に止めている。酒を飲む人はこの世に5万といるのに何故自分が?と思ったこともあった。

しかし、今思うと自分は本当に幸運だったとしみじみ思う。それは、がんの早期発見から治療までの流れの中で、折々の判断をするにあたり”一生分の運”が味方してくれたと思うからである。

尚、あとでいろいろ調べてわかったことではあるが、T大学病院は食道がん咽頭がん内視鏡手術の分野では最先端にあるということである。

そして、そんなことは何も分からなかった私がここにたどり着いたのには、地元のA先生との出会いとそのアドバイスが大きかったのだが、その後の流れも自分では奇跡の連続と感じられてならないのである。

がん発見から手術まで、僅か2か月足らずの間に、地元の胃腸科クリニック→耳鼻咽喉科クリニック→市民総合病院→Y大学病院→そして、次のT大学病院へと転々した。そのどれもが私のがん治療に必要不可欠なものだったと思う。

以上が私の下咽頭がん発見から、治療までの幸運の連続の顛末である。

初めに述べたように、私ががんサバイバーと言えるまでにはあと5年ほど待たなければならないし、完全にがんを除去しても、再発する可能性は2割ほどあるようだ。

しかし、今は、再度授かったこの普通の日常を、ゆっくりと大事に暮らしていきたいと思っている。

(終わり)