したたかな野良ネコたち

わが家のこれまで飼った猫たちは、今飼っている2匹を含め、一時的なものを含めると10匹以上になると思うが、全て、出生はノラ猫である。今の家の中にいる二匹も本来はノラであり、チコは赤ん坊の時に保護されたものであり、リクもある程度大きくなってからだが、家の中を窓越しに覗いていたものを保護した。リクはそれ以降、外へは全く出なくなった。

(わが家の猫たちの詳しい紹介は、このブログの過去記事を参照されたい)

ところで、ヨーロッパでは、町の人達が共同で、ノラ猫たちの面倒を見ている光景をよくテレビで見る。彼ら(彼女ら)は地域猫として、ごく普通に、その地域の生活に溶け込んでいて、実にほほ笑ましい光景である。猫たちは、それを当然のように思い、その地域の一員として生きている。

さて、日本では少し事情が違うようである。これ以上のノラ猫を増やさないようにする対策は必要ということで、私が住んでいる地域でも、ボランティアの人々が、ノラ猫たちを保護したり、去勢手術を施したりしている。

そういうわけで、最近は少なくなってきたとは言え、わが家の周りでも、まだノラ猫は何匹かはいる。ところが、時々回って来る地域の回覧版には、「ノラ猫にエサを与えないでください」と書かれているのだ。つまり、ノラ猫には、虫やトカゲや、時には小鳥たちを捕食して、自分自身で生きていってくださいと言っている。

日本は、ノラ猫にとって何とも生きにくい国である。

どうやら、人間は、”我々人間”がノラ猫たちを生み出したものだと言うことを忘れているらしい。

猫にとっても、ノラとして生まれてきたということは、ある種、不幸な運命なのだ。しかし、彼ら(彼女ら)は、運命を受け入れて、果敢に強く生きているように見える。

バスケットの名プレイヤー、マイケルジョーダンは、「運命よ、其処をどけ、俺様が通る!」と言ったとか。ノラ猫たちは、それを実践しているようだ。生まれてきた運命の不平等は、人間界だけではないのだ。

f:id:chikoriku69:20211129085441p:plain

わが家には、ノラ猫のゴン(名前は私が勝手につけた)が、毎日立ち寄る。以前、紹介したが、小魚の干物を一匹、窓から放り投げてからの付き合いである。耳には去勢手術をしてあるという印の切れ込みがある。相当な歳だと思われるので、最近のように寒くなってくると、どこかで行倒れていないかと、多少心配である。しかし、ゴンは(エサを要求する時以外は)決して人におもねることはない。孤高のノラである。

これと対照的なのが、トラである。ノラ猫のくせに、人なつこく、人に取り入るのが得意で、ついには、去勢手術もされて、隣りの家で飼ってもらえることになった。しかし、いかんせんノラである、先住ネコと相性が悪かったり、小さなお子さんがいたりで、隣家よりは、わが家にいることが多くなった。そして、ついには毎晩わが家で寝泊まりするようになってしまった。因みに、トラはわが家の内ネコの2匹とも相性が悪いので、寝る時は、庭に面した和室を占領している。

全く違う生き方のゴンとトラであるが、この二匹は何故か仲がいい。普通、オス猫同士は威嚇しあって、仲が悪いはずなのだが、不思議である。

二匹とも、不平等な運命を果敢に、かつ、したたかに、生きているように見える。

f:id:chikoriku69:20210520143529p:plain