オリンピック中止論に対して、とんがってみた。

まるくなるな、星になれというCMがあった。つまり、○→☆で尖がれということらしのだが。

最近は、歳のせいで、自分はだいぶまるくなったと思っている。

そんな自分だが、最近、相当頭にきていることがある。

オリンピックを中止せよと”簡単に”言う人たちがいることである。

そういう人々は、概してスポーツの経験が無い人か、真剣にやったことの無い人であるとわかっているのだが、、、。

TVのワイドショーやトーク番組などで、実際の選手たちの気持ちも考えずに、オリンピックはやめろと言う人がおり、それらの意見に簡単に同調する人たちがいる。

そういう人たちは、オリンピックに全てを賭けてきたアスリート達の人生をどう考えているのかと、テレビの前で怒鳴りたくなるのだ。

難病を乗り越えて、奇跡的にオリンピックの切符を掴んだ池江選手に、オリンピックの開催の是非の誹謗中傷を送り付けた輩(やから)がいる。

今、アスリートたちは、自分の長い人生の一瞬において、数少ない、チャンスに向かって、必ずしも結果に結びつかないかもしれない”貴重な”努力をしている。

外野の無知な意見は無視して、淡々とオリンピックの切符に向かって頑張ってほしい。

子どもの頃からの夢を追いかけて、やっと掴みかけたオリンピック出場、オリンピックを目指す為に生活環境を変えたり、病気やケガにめげずに努力してきたり、それらの人たちの夢があと少し、本当にあと少しで叶うかもしれないのだ。

オリンピックを中止論を簡単に言う人たちは、そんなアスリート達がかけてきた人生への思いがどんなものなのかわかっていない。いや、わかろうとしていないのだ。

つまり、(うまく言えないのだが)スポーツの本質の、こみ上げる感動や、達成感を体感したことが無い人たちか、または想像が浅く、思いが至らない人たちなのだ。

努力が必ずしも結果に結びつかないスポーツというものに対して、なお努力を続けることは素晴らしい。彼ら(彼女ら)アスリートたちの夢を応援したい。

 

「コロナに負けるな!」とは、本質的にはどういうことなのか?

人間が人間らしい営みを殺して、コロナが去るまでじっとしていることなのか。

議論を深めてほしいものだ。

 

少し、とんがりすぎたか。文章が雑になってしまった。